代表プロフィール
- 名前
- 飯田 憲幸
- 生年月
- 1974年8月生まれ
- 好きなもの
- お酒、料理、ゴルフ
- 苦手なもの
- 果物入りのおかず(酢豚パインとか)
- MBTI
- 指揮官(ENTJ)・主人公(ENFJ)・起業家(ESTP)を行ったり来たり
- 長所
- 行動力、ポジティブ
- 短所
- 細かい管理とか作業が苦手
- 好きな言葉
- 艱難汝を玉にす
主な活動・学び
- 求人採用セミナー講師
- 講演会登壇(講師実績)
- YouTubeチャンネル『求人採用コンサルの金髪オヤジ社長』
- アチーブメント『頂点への道』講座 全受講
- 一般財団法人日本プロスピーカー協会認定 ベーシックプロスピーカー
- ラーニングエッジ『絆徳の経営スクール(MBSシリーズ)』 全受講
- SMG経営塾 九州・沖縄支部 支部長
求人採用や経営、マーケティング、組織づくりについて、外部での発信と継続的な学びを続けています。
学んだことを自社の経営やクライアント支援に活かしながら、より良い採用支援の形を考え続けています。
2025年より、飯田の公式YouTubeチャンネルを開設しました。
ナインデザインが日々行なっているコンサルティングや、飯田がどんな人なのかを動画でも確認してみてください。
学生時代
中学高校とずっとアルバイトざんまいでした。
高校の時は友人とバンドを組んでいて、ドラム担当でした。
趣味や休日の過ごし方
趣味はゴルフ!
練習は週に2、3回は必ずいきますし、レッスンも受けています。
料理するのも大好きです。
夢
仕事では、スタッフの平均年収がまずは600万円を超える仕組みづくり。
プライベートでは、ゴルフの腕前がシングルプレーヤーになることと、99歳まで長生きすること。
飯田のこれまで
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1995
19歳|高卒で就職。まずは「稼げる」がうれしかった
高校卒業後、飯田は西部ガスの熊本工場に就職しました。
三交代のシフト勤務で、工場内の設備を確認したり、夜間に構内を見回ったりする仕事です。高卒で入った会社としては給料もよく、最初は「稼いだお金が全部自分のものになる」ということが純粋にうれしかったです。
先輩に誘われて、パチンコやゴルフも覚えました。ただ、貯金はなかなかできません。
給料日前は袋ラーメンで過ごすこともありました。
上場企業ということもあり、親からも勧められて選んだ就職先でした。
ただ、最初から計画的に将来を考えていたわけではありません。 -
1997
21歳|安定を離れ、営業の世界へ
安定した会社ではありましたが、同じ場所で同じ仕事を続ける中で、少しずつ外に出て働きたいと思うようになります。
営業職への配置転換を希望したこともありましたが、当時は「大卒でないと難しい」と言われ、叶いませんでした。そこで西部ガスを退職し、営業の仕事へ。
ただ、転職先はノルマの厳しい職場で、朝早くから夜遅くまで働いても、思うように成果は出ませんでした。飛び込み営業で断られることも多く、毎日くすぶっていた時期です。
それでも、人と会い、自分で動き、仕事を取ってくるという感覚は、この頃に叩き込まれていきました。 -
1998
22歳|借金、掛け持ち、そしてWeb制作との出会い
20代前半には、友人の保証人になったことをきっかけに借金を背負いました。
返しても返してもなかなか減らない。
そんな時期を過ごします。生活を立て直すために、昼はパチンコ店で働き、夜はホストのアルバイトも掛け持ちしました。
今なら笑って話せる部分もありますが、当時はかなり必死です。その後、Web制作会社を経営している先輩と再会します。
これからの時代に必要になるのはWebだと感じ、「修行させてほしい」とお願いしました。そこから約3年間、無給で修行をさせてもらいながらWeb制作を学びます。
営業、制作、現場での段取り。
きれいなスタートではありませんでしたが、ここでの経験が、のちのナインデザインにつながっていきます。 -
2003
28歳|結婚、マイホーム、そして個人事業主として独立
2003年、飯田は個人事業主として独立しました。
当時は結婚もし、マイホームも購入。
人生としても、仕事としても、大きく舵を切ったタイミングです。正直なところ、当時の動機は今ほど立派なものではありません。
社長になりたい。もっと稼ぎたい。モテたい。かっこいい仕事がしたい。
そんな気持ちもありました。でも、思ったことを行動に移す力はありました。
ここから、ナインデザインの前身となる事業が始まります。 -
2005
30歳|仲間が増え、会社らしくなっていく
2005年ごろ、制作を担う仲間と一緒に事業を進めるようになります。
飯田は営業を担当し、制作担当と役割を分けながら仕事を広げていきました。2006年には個人事業から法人化し、株式会社ナインデザインを設立。
2008年にはスタッフも増え、熊本市上水前寺へ事務所を移転しました。
同じ時期に、東京・調布市にも営業所を開設します。東京経由で大手広告代理店の大きな案件が入ることもあり、売上も伸びていきました。
外から見れば、順調に見える時期だったと思います。ただ、その頃のナインデザインには、今のようなミッションやビジョンはまだありませんでした。
会社としてどこに向かうのか。
何のためにこの会社を続けるのか。
そこまでは、まだ言葉にできていませんでした。 -
2010
35歳|売上激減、退職、離婚。倒産の危機へ
2010年、東京の取締役と社員が一斉に退職。
同時に、東京で受注していた大手広告代理店関連の案件も大きく減少しました。会社の売上は大きく落ち込み、倒産の危機を迎えます。
私生活でも離婚を経験しました。この時期は、飯田にとっても会社にとっても、かなり厳しい時期でした。
目の前のお金を回すことに必死で、スタッフや会社の未来を落ち着いて考える余裕もありませんでした。気づけば、ほとんどひとりぼっちのような状態になっていました。
今振り返ると、会社の未来を示せていなかったこと、人を大事にする余裕を持てていなかったことも、大きな反省点です。
そうしたことが、人が離れていく原因の一つだったのではないかとも感じています。
この経験が、特定の取引先に頼らない事業づくりや、会社のあり方を考えるきっかけになりました。 -
2011
36歳|介護ナビを立ち上げ、チームを作り直す
厳しい状況の中で立ち上げたのが、「介護ナビくまもと」でした。
介護事業者と求職者をつなぐメディアとして、ここから新しい事業を始めます。この頃、現在もナインデザインを支えるM.Sさんが入社しました。
会社としてはまだまだ不安定な時期でしたが、ここからまた少しずつチームを作り直していくことになります。その後、熊本市中央区本山の、ほぼ間借りのような家賃2万円の事務所へ移りました。
環境は決して整っていませんでしたが、介護ナビを育てながら、次の事業の形を探していきました。 -
2014
39歳|介護ナビが広がり、嘉島町へ移転
2014年、事務所を熊本県嘉島町へ移転。
介護ナビも全国14か所へ広がり、少しずつ事業として形になっていきました。この介護ナビを通じて、介護事業者から採用に関する相談を受けるようになります。
あるクライアントから「人が採れなければ、事業を続けられない」という切実な相談を受けました。
ナインデザインとしてもできる限りのことをしましたが、結果的にその会社は事業を続けることができませんでした。もっと採用のことを学んでいれば、違う支援ができたかもしれない。
同じように困っている会社の力になりたい。
この出来事が、飯田にとって大きなターニングポイントになり、ナインデザインが採用支援へ方向転換していくきっかけになりました。一方で、会社の体制はまだまだ十分ではありませんでした。
今のように制作体制が整っていたわけでもなく、失敗も多く、周りに迷惑をかけたこともあります。 -
2016
41歳|熊本地震と、もう一度訪れた危機
2016年には熊本地震を経験。
事務所も自宅も大きな影響を受け、地域全体が先の見えない状況になりました。
多くの会社がWebサイトを作っている場合ではなくなり、受注も減少。
会社としても、再び倒産の危機に向き合うことになります。それでも、周囲の支えや新しい出会いもあり、事業を立て直していきました。
苦しい時期に教わった「艱難汝を玉にす」という言葉は、今でも飯田の好きな言葉になっています。 -
2016
41歳|最初は乗り気ではなかった学びが、価値観を変えた
熊本地震のあと、知り合いの先生に勧められて、飯田は経営や自己成長に関する学びの場へ参加します。
最初から乗り気だったわけではありません。
むしろ、最初は「こういう学びは自分には合わないのでは」と感じていました。それでも学び続ける中で、飯田自身の考え方は大きく変わっていきました。
うまくいっていない状況を作ってきたのは、自分自身でもある。
何のために会社を続けるのか。
誰のために働くのか。
スタッフやお客様に対して、どんな会社でありたいのか。それまでの飯田は、どちらかというと「自分が動いて何とかする」タイプでした。
でも、会社を続けていくには、自分一人が頑張るだけでは足りません。スタッフが安心して働けること。
お客様に対して、チームで価値を届けられること。
会社として、何のために存在するのかを言葉にすること。そうしたことを少しずつ考えるようになり、ナインデザインの考え方も変わっていきました。
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2017
42歳|採用支援を本気で学び始める
採用支援に力を入れていくために、飯田は採用についても本格的に学び始めました。
関東の会社へ通い、求人や採用の考え方を学んだ時期もあります。それまでのナインデザインは、Web制作の会社でした。
けれど、介護ナビでの経験やクライアントからの相談を通じて、採用に困っている会社にもっと力になりたいという思いが強くなっていきます。同じ頃、現在も毎月続けている求人採用セミナーもスタートしました。
最初は会場を借りてリアルで開催し、熊本の企業に向けて採用の考え方を伝えていました。採用について学び、実践し、また失敗しながら改善する。
この頃から、ナインデザインは少しずつ「採用に強い会社」へと変わっていきました。 -
2020
45歳|コロナ禍を、全国へ広げるきっかけに
2020年、コロナ禍で世の中が大きく変わります。
リアルで行っていた求人セミナーは開催が難しくなりましたが、オンライン化したことで、地域を越えて全国の歯科医院へ採用支援を届けられるようになりました。社会が大きく変わる時、ただ落ち込むのか、その中でできることを探すのか。
飯田は後者を選びました。
変化を恐れず、まず動いてみる。
その姿勢は、今のナインデザインにも受け継がれています。 -
2026
51歳|自分一人の成功より、スタッフが誇れる会社へ
現在、飯田が目指しているのは、スタッフが長く働き、自分たちの仕事に誇りを持てる会社です。
創業当初のように、ただ売上を追いかけるだけではなくなりました。
もちろん会社を続けるために利益は必要です。
でも、それ以上に、ここで働く人たちが「ナインデザインで働いてよかった」と思えるものを積み上げていきたいと考えています。昔は、人と比べて焦ったり、もっと稼ぎたいと思ったりする気持ちもありました。
今は、自分一人が大きく成功することよりも、長く関わってくれているスタッフが、将来に向けて安心できる会社をつくることの方が大事になっています。新しい技術やAIも積極的に取り入れながら、採用支援やWeb制作のあり方も変化させていく。
そして、飯田一人に頼る会社ではなく、スタッフ一人ひとりが考え、動き、価値を生み出せる会社へ。まだ完成した会社ではありません。
だからこそ、今も学び続け、変わり続けています。過去だけを見ると、かなり遠回りの多い歩みです。
でも、その遠回りがあったからこそ、今は会社の未来やスタッフの幸せについて本気で考えるようになりました。ナインデザインは、いわゆる「普通の会社」とは少し違うかもしれません。
変化も多いですし、新しいことにもすぐに挑戦します。
だからこそ、決まったことだけを淡々とやりたい人には、合わない部分もあると思います。それでも、会社と一緒に変わりながら、自分の仕事の幅を広げていきたい人にとっては、きっと面白い環境です。
スタッフから見た飯田さん
常に進化している上司です。インプットからアウトプットまでの期間も凄まじく速いです。
行動力と先見の明が本当にすごい方です。社長についていけば大丈夫、と思える絶対的な信頼があります。
学校の先生のような存在です。飯田さんの話を聞くたびに、視野が広がる感覚があります。
忙しくてもちゃんとスタッフの話を聞いてくれる方。意見を突っぱねたり無碍にしたりしません。
自信を持って堂々としながらも自分を決して過信せず、すごいと思える人の言葉を真摯に受け止められる社長です。
温かく見守ってくださる上司です。私たちの成長のためにはどうすればいいのかを常に考えてくださっています。
常に新しい情報を仕入れて、変えよう・試してみようとする人です。問題が起きても責めず、次を考えてくれます。
頼りになるし、頼りにしてくれていると思います。スタッフからの意見や発言が大好物な人です。
飯田さんに改善して欲しいところは?
良くも悪くも…かもしれませんが、態度に出やすいので「あ、これ違ったな」とすぐわかります。
会議室利用された際は、ペットボトルの処分や椅子を元に戻してもらえるとありがたいです。
興味のある話題とそうでない話題で、表情や態度に差が出てしまっている時がある。
話の内容にあまり興味が持てないとき、スマホを見始めたり「ふ〜ん」という感じのリアクションになったりと、けっこう態度に出ているかなと思います。
新しい道具や教材を取り入れたものの、運用について宙に浮いたまま「どうなったのだろう」と分からなくなる時がある。
もう少しデリカシーのある、配慮のある言い方が必要かと思います。
気付かないところで傷ついている人がいるのでは?とヒヤヒヤしています。
Slackで飯田さんへ確認事項をお送りして、お返事をいただくのにしばらくお時間がかかる時があります。
もう少し早めにいただけると助かります…
他人への共感性をどうにかして磨いてほしいです。
飯田さん個人の経費(接待交際費)の使い方は、もっと見直すべき点があるのではと思っています。
人への思い込みの激しさです。一度「〇〇さんはこういう人」と決めると、数年単位で印象が変わりません。最初の先入観だけでずっと判断されることが多いです。